私が生まれて初めて口にした単語はクルマの名前だったそうです。おまけに車種まで完璧に言い当てられた、と言うから子供と言うのはげに不思議なものです。ヒーローモノや超合金には目もくれず、刑事ドラマの覆面パトカーのカーチェイスを見て喜び、デパートでは必ずミニカーをせがみ、幼稚園で絵を描かせればクルマばかり描き、近所の友達と連れ立ってスーパーから段ボール箱をもらって来ては、箱自動車を作ってよく遊んだものです。

そんな頃からスカイラインは「お気に入りのクルマ」でした。スカイラインに乗るのが夢の一つだったのです。近所にハコスカGT-Rがあって、ド迫力のアイドリングサウンドに聞き惚れ、走り去った後の車庫に残った、有鉛ハイオクの香りに酔いしれたものです。
しかしハコスカ以上に憧れたのが「ケンとメリーのスカイライン」でした。中でもブルーの2ドアハードトップが一番のお気に入りで、どこを取っても素敵なクルマでした。ハコスカに無い、どこか「優しさ」を感じさせるデザインが子供心をくすぐったのかもしれません。

小中高と上がるにつれ、クルマへの興味が一時的に薄らぎ、免許を取得してクルマ選びに散々迷いました。

しかし…

結局私が選んだのは「スカイライン」でした。



7thこと、R31スカイライン2000GTパサージュ(昭和62年式)。先代のR30 スカイラインも欲しかったのですが、7thは程度の割りに相場が安く、何よりもまず「スカイラインと言うクルマ」が欲しかったので、これに決めました。当時父が乗っていたF30レパードTR-Xのような優雅さはありませんでしたが、センターピラーの無い4ドアハードトップは、別の意味でカッコ良かったです。(窓全開でドアを閉めると、ドアがチョコっと揺れるんですけどね。 笑)また、ダークブルーで統一されたシャレた内装、昔のステレオを思わせるデザインの純正カーオーディオあたりがスカイラインらしからぬ「色気」を醸し出している事や、ケンメリやジャパンを髣髴とさせるテールランプ周りもお気に入りでした。

装備品も気が利いていて、フロントフェンダー上に付いたマーカーは、フロントの見切りがしづらい初心者には大助かりだったし、ステアリングの手元に配置されたラジオやスピーカー等のスイッチも、操作に気をとられないので便利でした。また、中でもユニークだったのは運転席の腰部調整機構でして、シート内部に仕込まれたエアクッションの空気量を、左脇のレバーと空気抜きボタンで調整すると言うものでした。

走らせて見ると、6気筒エンジンならではのサウンドが響き、非常に柔らかいリアのサスペンションを沈ませて加速するスタイルが印象的でした。サスも柔らかければシートもフカフカで、高級車のような乗り味だった事から、乗せた人には意外と好評だった事を覚えております。

免許取立ての頃は、クルマを「動かす」事が本当に楽しかったです。たいした目的地も無いのに、ただ「運転する為」だけに、よくブラブラとあちこち走り回ったものです。休日の早朝に一人でドライブしたり、職場からの帰り道もわざと遠回りして見たり、いらない買い食いをして太って見たり(爆)。それもこれも現実となった、ミニカーや箱自動車を通じて夢見たクルマの運転と、自転車では到底かなわない速度と行動範囲を手にする事の喜び。ましてそれが「憧れの」スカイラインなら尚更です。

このクルマで生まれて初めて体験した、クルマを「動かす」楽しさ。私はステアリングを握る限り、この気持ちはいつまでも大事にしたいと思います。


次に買ったのが、スカイラインに乗る事を決めてからずっと念願だったR32スカイラインGTS Type S。コンパクトなボディは、ハコスカと言うよりむしろその前の型である「S54B」を彷彿とさせました。曲面を多用した斬新なデザインは今見ても秀逸ですが、音質とふけあがりの良いRB20DEエンジン、黒とグレーのスポーティな内装、握り心地の良いシンプルな本革巻ステアリング、ノーマル車にしてはビシッと固められたサスペンション、コーナリングをサポートする4輪操舵システム「HICAS」など、全ての面で魅力たっぷりのクルマで、マニュアル車だった事もあって運転がとても楽しく、「自慢の愛車」でした。

前の7thスカイラインが「クルマを持つ事の喜び」を与えてくれたのに対し、このクルマは「スカイラインを持つ事の喜び」を与えてくれました。7thは「スカイライン」と言う名の付いたクルマでしたが、このクルマは「ホンモノのスカイライン」でした。R32は大抵、足回りやマフラーなどをモディファイされておりますが、私のスカイラインは、前オーナーが取り付けたフロントのタワーバー以外フルノーマルでした。それでも「スカイライン」を手にした私は充分幸せだったのです。


また、このクルマは私がいろいろな意味で辛かった時期を共に戦い、やり場の無い怒りや悲しみ、悔恨、そしてささやかな幸せや喜びを共にした「戦友」でもありました。ドライブのみならず、日々の通勤や仕事でも大活躍し、私をどん底から這い上がらせる為の足場を築いてくれたのです。
買った当初約4万キロだったオドメーターは、五年で18万キロまで伸び、どん底だった頃の手入れ不足や粗雑な扱いも災いして、各部にもガタやヤレが目立ってしまい、どうにもならなくなって手放す日がやってきました。
中古車店に新しい車と引き換えに、このクルマを持っていく為に最後のハンドルを握った私は泣きそうでした。出来る事ならいつまでもこのクルマに乗っていたい・・・。そんな気分に駆られました。営業時間が終了した、真っ暗で寒い冬の中古車店に、このクルマを置き去りにするのがとても不憫だったのです。スカイラインから降りた私は、ルーフに顔をうずめてそっとお別れを言いました。

「ごめんな。今まで本当にありがとう・・・。」

私は生涯このクルマを忘れる事は無いでしょう。



次いで買ったのがこれまたR32セダン。ご覧の通り、GTSではなく、SOHCの「RB20E」エンジンを積んだGTEと言うグレードです。当時すでにデビューしていたR34には到底手が出なかった事もありますが、仕事と実用(会社ではレギュラーガソリンしか支給してくれなかったので…。)を重視した為、GTEでも充分と判断し、見た目の程度もそこそこ良かった為に購入した、いわば「つなぎ役」のクルマでした。とは言え中古品店で見つけた年代モノのシビエ製フォグランプを取り付けて「北海道旅行」を企てたりしたものです。
しかしその後、エアコンが壊れてユニットごと交換したり、ガソリンタンクの錆でフュ−エルポンプが詰まってエンジンがかからなくなったり、履いていたタイヤが実は「再生タイヤ」である事が判明したり(サイドは80年代走り屋の定番、ピレリチンチュラートP6!!)となかなか「大変なクルマ」であった事が判明。北海道旅行どころではなく、僅か約2年ほど手放すハメとなり、前のクルマを手放した事を少し後悔しました…。


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